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号「芋銭子」の使用開始時期について

 研究文献上にみる限り、号「芋銭子」を明治期に使用したという記述は見当たらない。

 明治期の芋銭は、新聞雑誌等に盛んに挿絵を描いた。そのサインをみると、「芋」が圧倒的に多い。この「芋」というサインは、「芋銭」と考えられてきた。

 明治期には「芋銭」を使用し、大正期のおおよそ中頃から「芋銭子」を使用し始めたといわれる。これは通説であるが、大過ないと言ってよいだろう。

 芋銭に興味を持ってから、手当たり次第に関連文献の収集に努め、芋銭論などは暇さえあれば読み耽った。画集等を手にしたときは、難解な画賛の解読及び典拠解明などに夢中になっており、サインなどには特別興味も持たなかった。そのようなことを繰り返し続けている内に一つの作品が目にとまった。その作品というのは「人日」(以下に図示)である。当初、この作品を『漫画春秋』(日高有倫堂 明治43年)で見た。後で知ったことだが、同作品は、明治43年1月9日付『東京毎日新聞』に掲載されていた。実はこの『漫画春秋』は、東京毎日新聞に掲載された作品を集めて、後に刊行されたものである。『漫画百趣』『漫画春秋』『即興画詩』の言わば三部作は、総て、『東京毎日新聞』に掲載された芋銭を含めた多くの画家の作品を集めて刊行されたものである。この事実は、今までどの研究文献上でも語られることがなかった。

 さて本題に戻って………

 「人日」と題する作品について、迂闊にも見落としてしまったことがある。「年中行事」を題材とした作品で、描かれている人物は「芋銭」その人である。作品右下には、「某年人日の朝心」の賛に続けて。「芋銭子」というサインが認められる。

 この作品によって、「芋銭子」という号は、既に明治43年1月には使用されていたことが分かった

 通説はこの作品によって、再考する必要が生じた。

​ 初出:「研究ノートから 二 芋銭子」『艸汁會報』第3号 草汁会 古美術妙童 1990年4月

芋銭作 人日

​「人日」 東京毎日新聞 明治43年1月9日

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