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無惨な姿を晒す得月院の榧の大木

 得月院は牛久市城中町にある寺院で、芋銭ゆかりの寺として知られている。ここは小川家の菩提寺で芋銭もここに眠っている。本堂正面には、芋銭の書「得月禅院」を彫り込んだ扁額が掲げられている。また境内にある「本堂庫裡再建記念碑」の上部の篆額も芋銭書である。

 得月院における芋銭ゆかりのものとして、筆頭に挙げられものとして榧の大木がある。

 この大木は、芋銭作「樹下石人談」(第6回再興日本美術院展出品、1919年、下図)のモデルとなったもので、厳然たる樹容を誇っていた。牛久市教育委員会によって1990年3月1日に設置された得月院内の案内板によると、「市指定文化財(天然記念物)で推定樹齢約450年から500年の大木で、「樹下石人談」のモチーフとなった」とある。

 

 

 

 

 昨年(2023年)暮れ、芋銭遺品群デジタル化のため牛久に出かけた折、時間に余裕があったので久しぶりに得月院を訪れた。山門をくぐり左側を見て唖然とした。何とあの榧の大木が無惨な姿(下図中央、右端はその上部)に変貌していたのである。豊かに繁っていた枝々は悉くブツブツと断ち落とされ、天に突き出した切断痕が痛々しい。樹高にしてもかなり低くなってしまったことだろう。下図左端はありし日の樹容(牛久市観光協会HPより)で、大きく伸びて垂れ下がる枝々の下に佇むと、芋銭の絵画に表現された何ともいえない幽趣が看取されたものだ。しかし、今はそれらもキレイに除去され、陽光も根元まで遠慮なく射し込み、もはや自分たちの棲処はないと察知した精霊たちは、何処へか去ってしまった。もう二度と戻ることはないだろう。

 芋銭の世界が消滅してゆく寂しさを覚えた。

 某ブログによると、榧の大木の現状は、災害等々を被り保存処置がなされた結果と記されているが・・・

樹下石人談

画面をクリックすると、拡大表示されます。

ありし日の榧の大木
枝々が断ち落とされた榧の大木
枝々が切断された榧の大木上部

各画面クリックすると、拡大表示されます。

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