河童の碑-正式な名称について

芋銭先生記念碑.png

芋銭先生記念碑

 牛久沼を見下ろす高台に、小川芋銭の芸術と人とを景慕する人たちによって記念碑が建立され、昭和27年5月25日、小川家への贈呈式が簡素に挙行された。当該碑は、牛久市の文化財に指定されているので、まずは、そのデータを記してみる。

 

  名 称:茨城県牛久市指定文化財(工芸品)「河童の碑」

  形 態:記念碑

  所在地:茨城県牛久市城中町2717

  指定日:平成25年4月22日

  所有者:個人

  指定者:牛久市教育委員会

 

 実は、記念碑の名称「河童の碑」は、碑表に河童の絵が彫り込まれているところから生まれた俗称であって、正式な名称ではない。

 文化財と指定する場合は、言うまでもなく事前には詳細な調査が要求される。

 この記念碑が建立される経緯やその他については、このHPの芋銭研究のページで、河童の碑について」「続:河童の碑について」「住井すゑの芋銭論その3などで詳しく記しておいた。文中、「河童の碑」に続けて(俗称)と付してあることにお気付きの方もあったかと思う。

 かつて記念碑建立のため奔走した吉井忠氏の回顧文の題名も、単なる「河童碑由来記」ではなく「芋銭子河童碑由来記」と「芋銭子」の冠詞が付されている。

 実は、この記念碑には正式名称があるのだが、それをどれくらいの人たちが知っているだろうか。

 冒頭にも記したように、昭和27年5月25日、小川家への記念碑贈呈式が挙行された。

 完成した碑前に、こう氏(芋銭夫人)、春子氏(芋銭長男修一氏夫人)、耒太郎氏(芋銭令孫)が並び、それに相対して、池田龍一氏が、記念碑贈呈書を読み上げている写真が存在する。

 その贈呈書(池田龍一直筆、牛久小川家蔵)には、次のように記されている。

 

                   

        一 芋銭先生記念碑(昭和二十六年十二月刻銘)

           但、先生筆河童座像刻入

                 八柳恭次 刻

                 中村直人 監修

        右は、故芋銭先生の芸術と人とを敬慕

        する我々が、先生を記念せむとする

        微志のもとに案造し、先生好愛の地

        区草汁庵域内椎林中に建置し、而して、

        御遺族に贈呈させて頂くものであります。

           昭和二十七年五月二十五日

                      池田龍一

                      *注記:他7人の姓名の列記あり、略す。

        芋銭先生御奥様

         外 御一家様

 

 ここで一つ断っておくが、「一 芋銭先生記念碑(昭和二十六年十二月刻銘)」とあるのは、碑裏に記された池田龍一の一文が、この年月に書かれたということで、実際、碑の彫刻・建立等総ての作業は、翌年の昭和二十七年になってから開始された。

 この贈呈書からわかるように、記念碑の建立に携わった人たちは、碑の名称を「芋銭先生記念碑」とし、「河童の碑」とはしていない。繰り返しになるが、「河童の碑」という呼称は、単に碑表に「河童」が彫られているところに起因するものである。仮に「龍」が彫られていたら、「龍の碑」ということになっていただろう。

 「河童の芋銭」「芋銭の河童」という言葉がある。これとても、「芋銭」を除き「河童」だけでは「芋銭」には繋がるべくもない。芋銭を知る人であれば、「河童の碑」という呼称から、芋銭を想起することもできようが、芋銭は未だ知る人ぞ知る存在である。芋銭を知らない人からすれば、「河童の碑」という呼称から何を想像するだろうか。

 文化財として指定するのであれば、原点に立ち返り名称を「芋銭先生記念碑」とすべきだろう。また、上記の贈呈書も、指定

文化財の副次資料として、後世へ伝えるべき必要があると思う。先人への畏敬の念を忘れてはならない。

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