絵画にみる芋銭の強靱な信念
芋銭は日本美術院同人になっても、決して院展におもねるような作品を描かず、独自の道を突き進んでいったことを明瞭に示す作品がある。昭和3年9月開催の再興第十五回日本美術院に出品した「浮動する山岳」がそれである。
この作品について、当時の美術雑誌等には、
氏の繪は飄逸洒脱の畫面中に重厚な潤澤な筆致があり、自由なものに靜粛さを宿し、平凡なる所に非凡の
姿を窺う。今度の出品の「浮動する山岳」は雲煙の中に山岳の出没を描いたもの傑作とまで云はれないに
しても、その墨色に於ては確に異彩を放つたものと云はなければならぬ。…… 本方昌「本年の院展と私
の感想」 『美之國』4-10 昭和3年10月
との評がなされている。同美術雑誌には、鏑木清方の寸評も掲載されているが、特別みるべきものもない。他の評にしても大同小異である。
「浮動する山岳」の図版を初めてみたとき、中央の山塊には鳥の嘴のようなものがみえるし、左隣の山塊は、翼を広げた妖しい鳥のようにもみえ、その他の山々もこれまた山という佇まいから逸脱しているので、非常に妖しい絵だという印象が鮮烈に残っている。しかし、更に更に異様なものが描き込まれていることなど、私はには想像すらできなかった。批評家達にしても、墨色云々よりも先に、この異様な画面に戸惑いを感じなかったのだろうか、不思議でならない。批評はとみれば、前述したとおり、雲霧の景を墨色豊かに表現しているという域を出ていない。逆にいえば、批評家と称される人たちは、作品をよく見ずに評を書いていたことが裏付けられる。当時は勿論のこと現在に至るまで、よもやこの作品に、芋銭の横顔が隠し絵のように描き込まれていることなど、誰も想像だにできなかった。その横顔だが、絵の一部にそっと添えられたものではなく、実に大胆に描き込まれているのである。
さてこの作品の隠し絵(芋銭の横顔)の存在について、それを真っ先に見抜いたのは、「牛久市小川芋銭研究センター(現在は体制が代わり閉鎖)」にて、『小川芋銭全作品集』の刊行に向け、編集員として精力的に調査研究を進めておら
れた香取達彦氏である。そのいきさつは、平成24年10月5日付読売新聞夕刊(同紙茨城県内版10月6日付)にて公にされ、注目されるところとなった。
同紙夕刊(抜粋)によると、
「芋銭の顔 隠し絵か 山の部分 鼻・口に」という見出しで、
隠し絵を見つけたのは茨城県利根町の元図書館長・香取達彦さん。牛久市が来年3月に発行予定の「小川芋銭
全作品集」の編集員で、隠し絵を探そうと画集を丹念に見つめていたところ、「山の部分が目や鼻、口、あご
ひげに見えてきた」という。
この作品は、現在は個人が所有し、水戸市の茨城県近代美術館が保管している。同美術館の企画課長は「遊び
心があった画家なので、隠し絵との見方があってもおかしくはない」と話している。これまで少なくとも6回、
各地の展覧会に出品されてきたが、隠し絵の指摘は一度もなかったという。
と記されている。
ではその隠し絵を図版として掲げてみる。左図が、再興第十五回日本美術院出品作「浮動する山岳」、右図がその中から取りだした「隠し絵(芋銭の横顔)」の部分(画面右上を切り取り、左回りで90度回転)である。
如何だろうか。香取氏が見抜いたとおり、私も間違いなく芋銭の横顔だと確信する。
芋銭は、大正12年12月の院展に「水魅戯」という作品を出品した。いま話題としている作品は、それに対して「山妖戯」とでもいうべきものである。画面は殆ど同じ手法で構築され、双方共に最下部には実景を描き、その上には芋銭特有の妖しい世界が展開されている。特にこの作品においては、山並みの中に自身の横顔を描き込むことにより、私も山妖の一員だよと主張している。
芋銭が日本美術院の同人に推挙されたことを快く思わなかった人は、院内部に大勢いた。勿論、同人の中にも同じ考えの人たちが多数いた。何ら実績の無い者がいきなり同人になったのだから、妬みは当然と言えば当然であろう。そういった人たちが、もしこのような、言わば彼らにとっては半分冗談とも取れるような作品の内容を知ったら、一体どのような反応を示しただろうか。
芋銭は、そんなことにはお構いなしに、自身の描きたいものを描き続けた。院展に属しながらこのような作品を定例の展覧会で発表するのだから、芋銭はその体躯からは想像できないほど肝の据わった芸術家であり、その信念もまた些かも揺るぎないものであったと痛感させられた。
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