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三愚集
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『明治百俳家短冊帖』の編者・秋元梧楼によって刊行され俳画集。
秋元梧楼が選んだ小林一茶の二十七の句を、夏目漱石が書し、小川芋銭が俳画を添えたもの。俳画集に関わった、一茶・漱石・芋銭の三人を「三愚」と称しことにより、『三愚集』の名称が付された。漱石が命名。
刊行は諸般の事情で、漱石没後の大正9年まで延びてしまった。
なお、平成4年8月、初版と全く同じに再現された復刻本が単独舎から刊行されている。これには、『三愚集』解題他が別刷りとして付属する。
芋銭研究の頁の、『三愚集』についても、併せてご覧下さい。
画像の無断転載を禁じます。画像処理を施しています。

『三愚集』帙表、帙裏
帙表:三愚集(漱石書) 帙裏:芭蕉ハ自然に行き 一茶ハ人に行く 一茶の句は我喜ぶ所なり 則此畫を作りて三愚の一に入りたる我ハ 愚の上に愚の光榮とや言ハん 大正二年孟春三月 草か餅になる日 *肖像は、上から、漱石、芋銭、秋元梧樓。 右下は、芋銭の雅印。

表紙 裏表紙
表紙:三愚集(絵は芋銭、書は漱石) 裏表紙:名月の(絵文字)御覧の通り屑家哉(絵は芋銭、書は漱石)

夏目漱石 序文-1
右:三愚集 句ハ一茶 畫は芋銭 書は漱石 それ故に三愚集 左:といふ 句を作りて後世に残せる一茶ハ氣の知れぬ男なり 其句を畫にする芋銭は入らざる男也 頼まれて不得巳一茶の句を寫せる漱石ハ 三人のうちにて一番の大馬鹿

夏目 漱石序文-2
右:なり 三愚を一堂に会して得意なる秋元梧樓に至つてハ 賢か愚か殆んど判しかたし 四十五年五月 漱石 左:印文「多聞天蔵」

あら玉の(句の上五を仮題とする。以下同じ)
右:あら玉の年立帰る虱かな 漱石(以下省略) 左:芋銭画(以下省略)

きりきりす
きりきりす今日や生れんすみれさく

春雨の
春雨の大欠伸する美人かな

痩蛙
痩蛙まけるな一茶是にあり

なんのその
なんのその西方よりもさくら花

舞扇
舞扇さるの涙のかゝるかな

門々の
門々の下駄の泥より春たちぬ

深山木の
深山木の芽出しもあへず喰はれけり
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