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近刊案内 取手と芋銭

冊子 取手と芋銭

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 武士の家柄であった小川家は、明治4年の廃藩置県により東京を離れ、旧藩地の牛久に移り農業にて生計を立てることになった。芋銭も同年秋に移住し、生涯の大部分をこの地で暮らすことになった。そういわけで、出身は東京となるのだが、一般には牛久の画家として親しまれている。幼少期を牛久で過ごし、13歳に単身上京し26歳まで東京にて多感な時期を過ごした。その間、画学専門校「彰技堂」にて画家として唯一の師・本多錦吉郎から教えを受けたり、「朝野新聞」の一時雇われの画工として同紙上に挿絵を描いたりしていた。26歳で牛久に戻ってから後は、生まれながらの虚弱な体質を押して父を補け農業に勤しむ傍ら、盗むように暇を見つけてはスケッチブックを広げ、画家としての夢を捨てきれない自分を慰めていた。30歳前後になると、絵画の発表の場を求め新聞などへの投稿を始めたり、句作などにも熱を入れるようになる。もとより父はこれらのことには快く思っていなかったが、芋銭は牛久の外へ出かけることが多くなってゆく。当時の牛久は、経済や文化等の面において芋銭が何がしかを得られるレベルにはなかったので、必然的に牛久の外へ出かけることになった。その出向いた先の一つとして、芋銭の居住地から程近い取手町が挙げられる。当時の取手町は利根川の水運にて栄え、経済的にも文化的にも県内において高い水準を誇っていた。当然のことながら、俳句や絵画等を深く解する人たちも住っていた。

 明治32年1月、取手に新たな句会「水月会」が誕生すると、芋銭は早々にこの会に関わり、同地に出向くことが更に多くなってゆく。俳句を通じて得た知己を通して、取手町の人たちとの交流の輪は広げられていった。取手町の知己は芋銭のために画会(作品販売を目的とした)を開いたりして援助を惜しまなかった。こうして一部には知られていたもののほぼ無名の若い芋銭は、取手の人たちよって育てられ、後年には、取手の文化の発展のため芋銭はその中心となって尽力した。たまたま芋銭が取手に来ていることを聞きつけると、すぐに仲間に伝達され一席を設けることが常であったという。それほど芋銭は取手の人たちに愛されていた。芋銭の人生の節目である還暦・古希双方の祝賀会についても、取手では開催されているものの、地元の牛久で開かれることはなかった。特に古希祝賀会には、百余名が参会するという盛況ぶりであった。

 このような歴史があったのだが、芋銭研究において取手との関係はほとんど重きを置かれることはなかった。

 そこに注目し活動を開始した文化団体がある。団体の名称は「文化工房ふじしろ」といい、取手の文化の発展のため20年以上の長きに亘り多くの事業を展開し、賞賛すべき実績を積んでいる。

 取手と芋銭の関係について、当団体はまず芋銭についての勉強会を企画し継続的に実行に移し、その成果を先ずは展覧会という形で公開した。展覧会の名称は「芋銭と取手の仲間たち」である。取手における初の芋銭展ということもあって、かなりの反響を呼んだ。当初、取手市藤代のみで開催の予定であったが、取手市の中心地で再開催ということになり、更に人々の関心を集めることになった。展覧会は成功裡に終了したが、展覧会という性格上会期が終了すれば図録を刊行しない限り何も残らない。

 そこで次に企画されたのが、展覧会を基礎とした冊子の刊行である。

 同団体が再勉強会を開始したのはいうまでもない。また、展覧会の実績をそのまま冊子にするという単純なものではなく、知られざる事実を発掘し紹介するという新たな企画を加えた。その結果、鉾田市に眠っていた取手の句会「水月会」の資料の存在を知り、同市に何度も調査に出向き新事実を盛り込むことに成功した。

 途次コロナ禍という思いもかけないものに遭遇し、発刊予定も延び延びになってしまったが、昨年の3月末日にやっと刊行に漕ぎつけた。全ページにわたり新事実が数多く掲載され実に意義のある書籍となっている。

 本来なら、自治体が発行すべき性格の物を、市民団体が刊行したことにエールを送りたい。茨城県内の公共図書館に寄贈されているで閲覧可能であるから、出かけたついでにページを繰ってみることをお勧めする。

 次に書籍の概略を記しておく。

   取手と芋銭      *全ページフルカラー:79ページ

    目次

  「取手と芋銭」の発刊に寄せて       取手市長 藤井信吾

  小川芋銭                      北畠 健

  小川芋銭(取手で愛された人)            大畑久子

  第一章 取手の近代化と芋銭

   取手と芋銭のはじまり               北畠 健

   福田昌健                     鶴見 稚

   宮崎仁十郎                    鶴見 稚

   宮 文助                        根本利津子

   高安賢吉                     大畑久子

   中学校設置と芋銭                 鶴見 稚

   大利根橋開橋と芋銭                根本利津子

   大利根橋開橋と大利根音頭             北畠 健

   芋銭の古希を祝った取手の人々           根本利津子

  第二章 取手における芋銭の足跡

   (1) 取手に開いた芸術の華

     芋銭に影響された県南の日本画家たち      大畑久子

     小林恒岳画伯に聞く              根本利津子

     芋銭を人生の師とした小林巣居人        根本利津子

     芋銭を支えた取手の文化と人々         大畑久子

     取手たより                  大畑久子

   (2) 取手の芋銭ゆかりの地

     大正期取手町中心街ゆかりの地(案内図)    北畠 健

     芋銭ゆかりの地を訪ねる(案内図)       北畠 健

     長禅寺境内芋銭関連碑(案内図)        北畠 健

     長禅寺(境内芋銭関連諸碑案内)        北畠 健

     芋銭ゆかりの地(旧跡案内)          川島 宰

  第三章 資料編

   取手ゆかりの芋銭作品               北畠 健

   取手で発行された芋銭文献             北畠 健

   水月会の軌跡(含:水月会会員名簿、水月会会員自筆句稿集他)   北畠 健

   取手と芋銭年表                  北畠 健

   福田井村宛芋銭書簡集               北畠 健

   大利根音頭歌詞                  北畠 健

  謝辞 協力者一覧・参考文献一覧

  あとがき 奥付

   奥付け

  著者  文化工房ふじしろ

         大畑久子、川島 宰、鶴見 稚、根本利津子

  発行  2023年3月31日

  発行者 文化工房ふじしろ 取手市山王151-2

  装丁 北畠 健

  本文・資料編各ページ使用図版選択及び各ページ割付(目次ページを除く) 北畠 健

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