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写真は「芋銭」か

『草汁漫画』出版記念撮影といわれる写真をめぐって

写真は小川芋銭か

牛久小川家所蔵 無断転載及び無断使用を禁じます。

 上の写真が芋銭文献上に見られるようになったのは、つい最近のことである。その始めとなるのは、昭和62年に刊行された下記の3つの文献である。刊行の翌年が、芋銭生誕120年及び没後50年という記念すべき年にあたるので、共にこれを記念として、という意図が含まれていたのだろう。各々には、写真の補足文が記されている。いま、それらを発行月日順に追ってみる。

① 木村由美子著『芋銭の風景』常陸書房 昭和62年5月10日刊 24頁に掲載。写真に付随して、「左より前列、幸徳

秋水、杉田雨人、後列、小杉未醒、小川芋銭」とある。また、この文献の同頁には、紋付き羽織袴で正装した単独の人物写真が掲載され、「芋銭が髭をのばす前の写真(多分結婚式のときのものといわれるから、二十七歳になる)と記されている。

 この単独の人物写真だが、大きく引き伸ばされて、数年前まで牛久市にある小川芋銭記念館の廊下に展示されていた。羽織の紋が右の写真(後列右)と同じであったのを覚えている。風貌から推測するに、下*印の写真の人物と同一と見て間違いない。

② 美術特集『小川芋銭』 アサヒグラフ別冊13-2 朝日新聞社 昭和62年5月15日刊 97頁に掲載。写真補足として、

「明治41年、水戸小貫玉真堂での『草汁漫画』出版記念の撮影か。後列右が芋銭、左小杉放庵、前列右杉田雨人、左は幸徳秋水らしい。」とある。執筆は、次の文献の著者、鈴木氏。

③ 鈴木光夫著『小川芋銭の世界』ー河童は何故描かれたかー 教育書籍 昭和62年12月1日刊 54頁に掲載。「「草

汁漫画」出版記念撮影(後列右 芋銭、左 小杉放庵、前右 杉田雨人、左 幸徳秋水らしい)」とある。

以上3件の解説記述は、果たしてそうなのだろうか。

 

1 4人で撮影された写真の上列右の人物は「芋銭」か

 まず、この写真を見て、真っ先に奇異に思ったことがある。芋銭の体つきである。身長150㎝ほどと言われる華奢な体躯の芋銭が、小杉未醒と遜色のない姿で写っている。肩幅にしても、なで肩である芋銭なのだが、他の三者と文字通り比肩するほどに張っている。背丈は、何らかの手段で高くすることはできたとしても、肩幅は如何ともし難い。

 それから、記念撮影だから、諸氏は、改まった着衣で身を整えている。撮影と知りつつ芋銭は着流しで水戸まで出向き、羽織袴を借用してその場に臨んだとは思えない。当時は現在と違って、家の格式などに関して、比較にならないほど重きを置いた。したがって、家紋が異なる羽織で、その場を凌ぐなどということは考えられない。

 小川家の家紋は、下に示すとおり「隅立て四つ目」である。写真からは、どう甘く見てもそうは見えない。ここに至り、写真の人物は芋銭ではないだろう、という疑義をいよいよ強くした。

 

小川芋銭、小川家の家紋。

 芋銭ではないだろうと疑問を呈するもう一つの理由がある。人間の耳は、柔道やレスリングなどの類いのスポーツをすれば、変形することが往々にしてある。芋銭には、こういった例は当て嵌まらない。それでは、ここで芋銭の左耳の比較をしてみよう。

小川芋銭の左耳
芋銭の左耳
芋銭の左耳
芋銭の左耳
芋銭の左耳

 左端は、4人での撮影写真から、芋銭と説かれている人物の耳の部分を、トリミングしたもの。右の4枚の写真は、芋銭の横顔の写真から、左耳の部分を取り出したものである。芋銭の左耳は、中央部が異常に突起しているのが特徴である。如何だろう。左右を比較すると、とても同じ人物のものとは思えないのだが・・・。

 更に、芋銭とは思えないという、別の例を挙げてみる。先ずは、次に掲げた2つの写真に注目して欲しい。

小川芋銭ではなく佐藤秋蘋
芋銭芸術の価値を最初に見抜いたのが佐藤秋蘋。秋蘋に出会わなければ、芋銭が世に出るのはずっと後のことになる。写真は体力漲る時期の秋蘋。

 左は、4人での撮影写真で、芋銭と説かれているもの。右の*印の写真の人物は、佐藤秋蘋である。茨城新聞社史編集委員会『幻の言論人 佐藤秋蘋』(茨城新聞株式会社 平成2年)によると、明治39年6月ころの秋蘋は、「肺のほか腸にも疾患があることが判明、喀血もあって…」と体力的にかなり衰弱していた。右側が気力溢れる頃の秋蘋であるのだが、双方の風貌の違いはそういったところに起因する。しかしながら、頭部の骨格、髪の形、額及び耳を見ると、双方共に、ほぼ同じであることがわかるだろう。また、眉、鼻、口髭、唇、顔の輪郭についても、同様のことが言えるだろう。したがって、左右の人物は同一と考えても不都合はないだろう。

 以上から推して、4人で撮影された右上の人物は、芋銭ではなく、佐藤秋蘋である、という結論に達した。

 

2 写真の撮影時期について

 鈴木光夫氏は、前掲の著書『小川芋銭の世界』にては、「 明治41年、水戸小貫玉真堂での『草汁漫画』出版記念の撮影か。」と、アサヒグラフの美術特集『小川芋銭』にては、「「草汁漫画」出版記念撮影」と断定し解説している。これらを鵜呑みにしてよいだろうか。

 まず、田岡嶺雲の動向に注目してみる。

 嶺雲の自叙伝『数奇伝』によれば、

  「明治41年1月12日。(嶺雲の)病はいよいよ重くなった。この頃、養病のため本郷の下宿屋を引き払い、

  雑司ヶ谷に居を構えた。」とあり、明治42年には、病状も進行し、「歩行の自由を失う」までに至ってい

  た、とある。

 『草汁漫画』が刊行されたのは、明治41年6月のことである。出版記念会や記念撮影がなされるとなれば、これ以後のことと考えるのが妥当であろう。歩行に困難を来たし、且つ病状思わしくない嶺雲が、出版記念会や撮影のため、水戸まで足を運ぶことは、果たしてあったのだろうか。また、撮影された嶺雲の凛とした表情からは、とても重い病に苦しんでいるようには見てとることができない。一方の秋蘋は、『草汁漫画』の完成を見ずに、明治41年4月に他界している。当然のことながら、『草汁漫画』出版記念撮影などはあり得ない。

 別の視点から考えてみる。

 芋銭芸術は秋蘋によっていち早くその真価が認められた。秋蘋の人脈をつてに、芋銭は、交友や画家としての活躍の場を飛躍的に拡大していった。もしも秋蘋に出会わなかったなら、芋銭が世に出ることはまだまだ先のことになっていたことだろう。先に記したように、その秋蘋は、芋銭の『草汁漫画』の完成の僅か2ヶ月前に他界している。芋銭の深い悲しみや性格を考えたとき、4人で撮影した内の一人が仮に芋銭だとしたとき、最大の理解者を失った後に、出版記念会や記念撮影などに応ずることがあったただろうか。

 もっともこの写真には、芋銭が写っていないのだから、『草汁漫画』刊行とは切り離して考えるべきであるし、撮影目的や時期についても再考しなければならない。

 4人での写真撮影についてだが、前掲『幻の言論人 佐藤秋蘋』の年表によれば、明治39年の項に「八月八日、田岡嶺雲・小杉未成水戸に来る」とある。杉田雨人(栃木県出身、水戸の実業家)及び佐藤秋蘋は水戸の人だから、撮影ともなれば即座に加わることも容易だったろう。仮説に過ぎないが、撮影時期はこのあたりと考えられなくも無い。

 

3 撮影された前列左の人物は、「幸徳秋水」か

 法政大学出版が『田岡嶺雲全集』の刊行を企画して久しい。そのチラシには、田岡嶺雲の写真が大きく掲載されている。このチラシを見た見ないに拘わらず、「幸徳秋水」とか、「幸徳秋水らしい」などという記述は、非常に愚かしく思えた。というのは、芋銭を語る場合、「幸徳秋水」との交わりは避けて通れない。芋銭伝を著すのであれば、当然のことながら、秋水の風貌ぐらいは承知していて然るべきことだと思う。

 現在、ネット上には多くの情報が溢れている。ちなみに、「田岡嶺雲」と検索してみれば、写真の人物は、「幸徳秋水」ではなく、「田岡嶺雲」であることが即刻理解されるだろう。

 

4 田岡嶺雲との共著『有聲無聲』について

 『朝日新聞』昭和63年11月22日付夕刊に、西田勝氏が、「伝統の近代後的再生」ー小川芋銭と田岡嶺雲ーという一文を寄せている。その中で『有聲無聲』に触れ、「後者の存在は知る人ぞ知るだが、どういうわけか、先の展覧会目録につけられた詳細な著作目録、また芋銭研究書にも記録されていない。」と記している。    

 『有聲無声』は稀覯本である。価格もさることながら、市場に出ることなどは殆ど望めない。それが芋銭文献上に収録されない一因になったようである。私は長い間この文献を探し求めていたが、やっと念願が叶い、昭和58年9年に、新宿区の文学堂書店店主のご厚意により、極めて状態の良い原本を入手することができた。その後、北畠健編『小川芋銭文献目録』私家版  昭和62年12月刊に『有聲無聲』を記し、『日本古書通信』708 昭和63年7月刊に、「小川芋銭関係文献について」と題する一文中に、『有聲無聲』を図版を付して紹介した。これ以後になって、ようやく芋銭文献や芋銭年譜中に、『有聲無聲』が記されるようになった。

 しかし、『いはらき』新聞昭和42年4月7日付紙上の、「茨城文学地図」水戸(118)<田岡嶺雲>には、既に「明治41年芋銭と共著で『有声無声』(崇山房)」と記されているから、一部の識者間においては周知の事実ではあった。

私は、『有聲無聲』の存在をこれによって知った。

 ただ、西田氏が指摘するように、展覧会目録中の著作目録から抜け落ちた理由は分からない。当該目録に未掲載となったのは、目録編集担当氏が、単に刊行の事実を知らなかっただけのことだと思う。

 ついでながら記せば、近年『有聲無聲』の復刻本が刊行されているので、かなり身近な文献となった。

小川芋銭、田岡嶺雲共著『有聲無聲』。これが芋銭年譜に記されるようになったのは最近のこと。

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